餓死寸前の経験を経て、自然死とは何かを知った

夜の空死について

全ての人間にとって、死ぬことは、こわい。

自殺したいほど苦しいけど、死ぬのがこわいから死ねない、そんな経験のある人も少なくないと思います。

飢餓状態の経験を経て、「生」と「死」を連続的なものとして捉えることができ、自然死とは何かを知った経験をお話しします。

長期断食を決行

2019年秋、私は3カ月間に及ぶ断続的な断食を決行しました。

昔からの不摂生で溜まった体の悪いものを全て吐き出したいと思ったからです。

それまでも、3日間程度の断食を定期的に繰り返していたのですが、この時初めて、1週間以上の長期断食を行いました。

口にするものは水と天然塩のみ。

毎日1kgのペースで体重が減っていき、途中体が辛い時もありましたが、ある時からは辛さもなくなり、本当に老衰のようにこのまま死ねるなと思いました。

当時のお腹の写真です。アバラと骨盤が浮き出ています。

お腹

180cmの身長の私が、体重52kgまで落ちました。

3カ月の体重変遷のグラフです。

BMI変遷

BMI=18.5以下が痩せ状態で、BMI=16.0以下は飢餓状態です。

周期的な断食を繰り返しているため体重が増えたり減ったりしていますが、最終的にBMI=16.2という飢餓状態寸前までいきました。

この時は、空腹感もなく、体のつらさもなく、まだ続けられる感じがしたので、このまま続けて死ぬこともできるなと本気で思いました。

たぶん最高の安楽死を迎えられるんじゃないかと。

全く食べないことを続けて体の中がとても綺麗でした。便や尿も汚い感じがせず、ニオイもなく、たぶん死んだとしても死体から死臭がしないんじゃないかと思うほどでした。

ただしこの境地に達するには相当な準備が必要で、全くストレスを受けない環境に身を置かなければここまで達することができません。

この時はたった一人、温泉旅館に宿泊して誰とも会わず、過ごしていました。

「生」と「死」

自殺というと、首つりや飛び降り、服薬など、これらは全て、「生」から「死」へ、一気に変化させる手段です。

当然この激変には苦痛が伴いますし、死ぬのが怖いのは、この時の苦痛を想像するからというのが一番の理由ではないでしょうか。

現在行われている安楽死であっても薬物を投与して突然の死を迎えるわけですから、「安らかな死」というわけにはいきません。

私はこれまで、「老衰」だけが生から死へ連続的に向かう、唯一、安らかな死を迎える自然死だと思っていました。

しかし今回、長期の断食で空腹を超え、徐々に死に向かう経験をしたことで、「緩やかな餓死」も安らかに死ねる自然死になりうることを知りました。

このまま食べなければ、死ねるな・・・

ガリガリにやせ細った体で、部屋の天井を見上げながら、そんな風に思っていました。

さいごに

不食と断食は別物です。

不食は食べないで生きること、断食は食べなければ生きられないけど食べないことで健康になる方法です。

思い返せば、私の祖父は、一緒に食事をしているときに、眠るように亡くなりました。

まさに生と死の「つながり」を間近に見た瞬間でした。

自然死とはこういうものなんだと、妙に納得させられました。

次は、「恥ずかしい生き方はしたくない」と思ったこと。

死を覚悟する生き方を学びました。

恥ずかしい生き方はしたくない、死を覚悟するとき
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