マズローの欲求段階説から「お金がほしい」を考える

マズローの欲求段階説お金と仕事

はじめに

多くの人が持っている「お金への欲求」はなぜ生まれるのか、考えてみます。

お金が欲しいのはなんでもいっぱい買えるからだよー。


マズローの欲求段階説とは

人間には、○○が食べたい、○○になりたい、○○に就職したい、人から認められたい、健康になりたい等々、日々生きる中で様々な欲求が出てきます。

アブラハム・マズローというアメリカの心理学者は、このような人間の欲求を5段階に分け、欲求に優先順位がある事を提唱しました。

マズローの欲求段階説

第1段階:生理的欲求

人間は、食欲、性欲、睡眠欲といった生きる上での根源的な欲求を持っています。

このような生理的欲求は最も低次の欲求で、なによりも優先したいと考える欲求です。

第2段階:安全の欲求

生理的欲求が満たされると、健康でいたい、安全な環境にいたい、財産を築きたいなど、安定して生きられることを求めます。

このような欲求を安全の欲求といいます。

第3段階:社会的欲求(所属と愛の欲求)

次の段階として、団体に所属したり誰かに愛されたいという欲求が生まれます。

このような欲求は社会的欲求とか所属と愛の欲求とか呼ばれます。

第4段階:尊厳の欲求

次の段階として自分が認められたい、尊重されたいという尊厳の欲求が生まれます。

第5段階:自己実現の欲求

そして最終的に自分の能力を最大限に発揮したいという自己実現の欲求が生まれます。

自己超越

このような5つの段階の欲求は全て自分の利益になる欲求です。

しかし人間にはこれらの欲を全て超越したところに「無償の愛」の境地があります。

マズローの欲求段階説の考察

マズローによれば第1段階から優先して欲求が発生しますので、例えば食欲という第1段階の欲求が満たされないと上位の欲求も消えていきます。

私の体験では、一定期間の絶食をすると食欲が満たされなくなり、その他の欲求が消えていくことを実感しています。

実は断食をすることで砂糖やアルコールといった中毒性ある食べ物が体内に入ってこなくなることで、食欲自体も抑えられるんです。

そうすると、なぜあんなに欲まみれで生きていたのだろうと今までの生き方が恥ずかしくなります。

<食欲を抑えれば様々な欲求が消えていく2つの理由>
・食欲という根源的な欲求を抑える事で、上位の欲求がなくなる
・砂糖やアルコールといった中毒性のある食べ物が体内に入ってこなくなることによる精神の安定化

マズローの欲求段階説を考える上での注意点は、必ずしも低次の欲求から求めるとは限らないということです。

例えば、私の知人に三度の飯より絵を描く事が好きという人がいますが、これは生理的欲求という低次の欲求が満たされていなくても、高次の欲求が表れている例です。

さらには、人間には自分が満たされていなくても他人を愛することができる神のような人もいます。

「お金がほしい」という欲求はどの段階か

多くの人は「お金がほしい」という欲求を持っていると思います。

マズローの欲求段階説のうち、第2段階の安全の欲求には「財産を蓄えたい」という欲求が含まれますが、必ずしも「お金がほしい」という欲求がこれとは限りません。

お金が欲しい理由が「食べ物を買いたい」ということであれば第1段階の「生理的欲求」であるし、例えば私の場合の「お金がほしい」は「恋人がほしい」という欲求の裏返しでした。

愛する人ができて満たされるとお金への欲求がなくなったことから、私の「お金がほしい」という欲求は第3段階の「所属と愛の欲求」の裏返しだったということです。

愛する人と幸せな時を過ごせて、満たされる事でお金への執着はなくなりまます。

他にも、自己実現の欲求を満たすためにお金が欲しいと考える人もいるでしょう。

このように見てみると、お金というのは様々な欲求を満たす手段になりえる事がわかります。

とりあえずお金があればどのような欲求でも満たす手段になるからお金をためるという人もいると思います。

お金でなんでもできる世の中になってしまったことを嘆く気持ちを下の記事で書いています。

お金のない世の中に
お金がここまでチカラをもってしまった理由は「科学技術の進歩」にあります。科学技術が進歩して人間にできないことが減ってきて、お金でそれらが全てが手に入るようになってしまったことが人類の不幸。

欲求と欲望

人間として欲が生まれるのは自然なことと考えるか、卑しいことと考えるか、これは大きな命題だと思います。

過剰な欲求は「欲望」に変わります。

根源的欲求である「食欲」でも、度が過ぎると卑しくなります。

我々は太っている人をみて無意識のうちに「過剰な食欲」=「欲望」を抑えられない卑しい奴だと考えてしまっています。

食欲でも物欲でも自己実現の欲求であっても結局は自分の為ですので、欲求に対して恥ずかしさや後ろめたさを感じるのではないでしょうか。

奥ゆかしい謙虚な日本人であればなおさらです。

最低限の欲求は生きるために必要であることはだれもが認めるところですが、根源的欲求である食欲もほどほどでなければ卑しくなります。

結局、重要な事は「足るを知る」ということ。

次は、「求めない生き方」について。

求めない生き方
人間の最も根源的な欲求である「食欲」を抑えれば、その他の欲求が顔を出さなくなります。求めない生き方とは食べることを抑えることから始まります。あれも欲しい、これも欲しいという生き方から卒業しましょう。

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