お金と健康と自殺を考える

銃死について
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お金と自殺

東京の「新小岩駅」は自殺する人が多いと聞く。

この駅は線路内に入りやすいことと、自殺者が多いことで噂を聞きつけてさらに自殺者が増えることで自殺の名所みたいになっているらしい。

株などの投資に失敗しこの駅で電車に飛び込む人が多いとのこと。

少し前までの自分なら、「投資は自己責任」の一言で自殺者を冷たい目で見ていたかもしれない。

でも今は他人事に思えない。

以前、先物取引をしていた時、含み損が膨らんだときは、正直生きた心地がしなかった。

損失がどんどん膨らみ、返せないほどの借金になってしまったら・・・。

想像しただけでもゾッとするし、自殺願望がでてきてもおかしくないなと思う。

お金の問題ごときで命を差し出すなんて、と以前の自分なら思っていたのに。

自殺者が多い新小岩駅には次のような掲示がしてあるという。

〈あの人 この人に 支えられ 今を 生かされ 生きている〉

だれもが一度や二度、死にたいと思ったことはあると思う。

私もそうだ。

でも、今生きているのはなぜか。

死ぬのが怖かったから?

前向きに、もう一度生きてみようと思えたから?

自分より辛い思いをして生きている人なんて、全国にゴマンといるんだ、という思い。

つらくなったら長渕剛の「stay dream」をいつも聞いていた。

Stay Dream    長渕剛

死んじまいたいほどの、苦しみ、悲しみ
そんなものの、ひとつやふたつ・・・

だれもがここあそこにほら、しょいこんでるもの
腰を下ろしふさぎ込んでも答えはNothing・・・

ひねくれかけた瞳のずっとずっと奥に、もがいてるもう一人の俺がいる
一番怖いモノは「勇気」だと知ったとき、自分の弱さに思わず鼻をつまんだ

もうこれ以上さきへは、進めない
例えば挫折が立ちはだかる

そんな夜は心で、命の音を聞け
「たかがこんな自分は」と、一度だけからかってみなよ

くよくよするなよ
あきらめないで
Just like a Boy

そのやせこけた頬のままで、果てしない迷路の中を、
人はみんな手探りしてでも、stay stay dream・・・

新小岩駅にはホームドアが設置されたようだ。

お金なんかの問題で死ぬことがないよう祈ることしかできない。

最愛の母を殺めるとき

2006年、私の地元京都で起こった母親殺害心中未遂事件をご存知だろうか。

一家は両親と息子の3人家族だった。

父親が病死後、母親が認知症を発症し、夜間に徘徊して警察に保護されるようになった。

息子はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、休職を理由に認められなかった。

母親の症状がさらに進み介護保険のデイケアを利用しながら献身的な介護を続けたが止む無く退職、再度の生活保護の申請も失業保険を理由に受け入れられなかった。

2006年1月末、母86歳、息子54歳の生活は困窮していた。介護を続けながら仕事を探すも見つからず、食事は1日1食。この日までに払わなくてはならないアパートの家賃3万円はどこにもなかった。

生活が完全に行き詰まり母との心中を決意したこの日、アパートに遺書を残し母と二人で最後の京都観光に出かけた。

向かったのは三条の繁華街。三条京阪駅に着いた二人は鴨川を散歩し新京極通りに向かった。

この通りの入口のそば屋は、彼がまだ子どもの頃に親子三人で食事をしたことのある店だった。しかしお金がなく食事はできず、手元のわずかな現金でパンとジュースを購入し、母と分け合って食べた。

そしてその夜、母と子は桂川の河川敷にたどり着いた。

桂川河川敷遊歩道

真夜中の厳しい冷え込みの中、車椅子の母に防寒具をかけ、それから何時間か過ぎた。

「もうお金もない。もう生きられへんのやで。これで終わりやで」。

目を覚ましたばかりの母に泣きながら語りかけた。

母親は泣きじゃくる息子の頭を撫で、

「そうか、もうアカンか、一緒やで。お前と一緒やで」 

意を決し、車いすのうしろにまわってタオルで母親の首を絞めた。

絞め続けた後、苦しませたくないために首をナイフで切り、自身も自殺を図った。

通行人によって2人が発見されたのは翌朝のこと、母は亡くなり息子は一命をとりとめた。

 

2006年4月、母親を殺害した罪で起訴され、京都地裁の初公判が開かれた。

裁判では、献身的な介護を続けながら金銭的に追い詰められていった過程、殺害時のやりとり等が紹介された。

裁判の中で被告は、「私の手は母を殺めるための手だったのか。もし生まれ変われるのなら、また母の子として生まれたい」と述べた。

目を赤くした裁判官は言葉を詰まらせ、法定は静まり返り、傍聴席からのすすり泣く声だけが響いた。

裁判官は「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として、懲役2年6カ月、執行猶予3年という殺人事件としては異例の温情判決が言い渡された。

そして、裁判官は「今後、自分を殺めることのないよう、母のためにも幸せに生きてください」と続けた。

なぜこんなに悲しい事件が後を絶たないのか。

京都は観光の町という華やかな一面を持つ裏で、生活に困窮している人も意外に多い。

特に京都市内は経済的格差が大きく、親から子へという貧困の連鎖も断ち切ることが難しい。

自分の愛する家族を自分の手で殺めなければならない惨さ。

こんなことがあっていいはずはない。

実はこの事件には後日談がある。

温情判決によって再び新たな道を歩き出したかに見えた被告は、その後、就職を果たすが、最終的に自死している。

この国では一度貧困に陥ってしまうと、再起が難しいと言わざるを得ない。

この事件は、お金があれば防ぐことはできたのだろうかという問い。

それは社会的孤立といったもう一つの側面を映し出している。

健康と自殺

毎日、この地球上で、生きたくても生きられない命がなくなっていく。

そう思うと、自分で自分の命を絶つことは、許されないことかもしれない。

自殺理由のトップは「健康問題」だそうだ。

私もつい最近、風邪で高熱と頭痛にうなされて一日寝ていたけど、こんな苦しい状態が毎日続けば、安楽死を求めるような気がする。

たかが風邪でこんな状態。

人間は痛みに弱い。

やっぱり健康寿命って大事。

どうか末永く、家族みんなが健康でいられますように。

「死ぬときに後悔する8つのこと」から生き方を考える
「多くの人が死ぬ時に後悔するであろう事」を想像し、自分の生き方を考えてみる。 死ぬ前に後悔しないためにというよりは、今を本当に有意義に生きられるように。
人生のどん底で「死にたい」と思っている人へ
私は36歳のときに、人生のどん底で死のうと思ったことがあります。その時に考えたこと、もがいたこと、必死になって生きる方法がないか模索したことを記します。今死にたいと思っている人の心に少しでも響けば幸いです。

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