受験の思い出、母への感謝

参考書幸せになる生き方

大学受験に人生を懸けた

寒くなってくると、もう20年近く前になる受験生だった頃のことを思い出す。

今でも年に数回夢に見るので、余程あの頃の記憶がキョーレツなんだろう。

高校時代、部活を辞めてしまった僕は、何か目標が欲しくて「入るのが難しい大学に合格すること」を目標にした。

特に進学校ではない高校だったので誰に話しても無謀だといわれたが、その事で反骨精神むき出しでやる気になった。

親はあまり何も言わず、せっせと勉強に励む自分を見守ってくれた。

高2高3と二年間、毎日毎日、10時間以上机に向かった。

塾や予備校にも行かず、とにかく自分で勉強方法から考え、参考書を買い漁り、ほとんど独学で勉強した。

毎日遊びにも行かず、家に籠って勉強ばかりしている子供を親はどう見ていたのだろう。

たまに遊びに出かけると親は喜んでいた。

それほど病的に勉強ばかりしていたのだろう。

ついに受験本番

高3の冬、いよいよ入試が近づいてきたとき、感触的には五分五分の合格率だと思った。

真冬の2月、試験当日。

20年近く経った今では記憶は断片的だが、とにかくガムシャラに解答用紙に向かった。

一科目3時間もある試験を2科目、それを二日間で計4科目。

長い長い2日間の日程を終えた。

合格発表

二日間にわたる入学試験をやり終え、いよいよ合格発表の日、今では珍しくなった掲示による発表、大学の職員が仰々しく張り出す。

受験番号を探す。

「あった、、、」。

当時は名前まで記載されていて「見間違えじゃない!」と瞬時に認識でき、歓喜の感情が溢れ出す。

実際、夢見心地で、周囲の合格者が狂喜乱舞するのに少し合わせて喜んでいた感じ。

こんな経験はじめてだったので、喜び方を知らなかったような。

すぐ母親に連絡した。

「受かった」。

電話口で母親は泣いていた。

一言「よかったね」と。

思い出すと今でも泣けてくる。

本当に苦労、心労をかけてしまった。

勉強を始めた当初、「自分を磨くため」だった目標に、いつしか「母を喜ばせるため」が加わっていた。

喜んでくれる人がいるから頑張れた。

改めて今思うこと

20年経って思うのは、「あの時もし合格していなかったら」。

今でこそ、それはそれで、それなりの人生があっただろうと思えるけど、あの頃の自分には耐えられなかったかもしれない。

想像するだけでコワイ。

自分は運が良かった。

このときに一生分の運を使い果たした気がしている。

当時を振り替えって母親は言う。

あの時、「もし不合格だったとしても 、息子にそれに耐えられるだけの力を、どうか神様与えてください」

そればかり祈っていたと。

ありがとう、感謝しかない。

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