亡くなったばあちゃんがよく言ってたっけ。
「一日は長いけど、一年は短い」
毎年こうやって無事に一年が過ぎていくことに感謝しつつも、ふと気づくのは、この日々の流れが当たり前じゃないという事。
普段、我々は毎日生きていく中で、死を意識する事ってほとんど無いと思うけど、実際はあと数十年もすれば確実に死ぬ。
40歳手前の私ならせいぜいあと50年位だろうか。
それでも毎日、永遠に死なないかのような気持ちで生きている気がする。
どんなに長く生きたとしても、あと50年。
あと50年か、、、短いな。
病気をしたらもっと短いかもしれない。
死とお金への執着
安楽死を提言された橋田壽賀子さん(91歳)は、家族も子供もいないから財産を処分しているそうな。
財産を相続する子供もいないので、大量の本やメガネを寄付したり、ハンドバックを人にあげたり、断捨離を進めているという。
そうか、お金から解放されるためには、死を意識できる年齢にならないといけないのか。
自分が90歳位になって、もうそんなに長くは生きない事を意識したとき、財産もそんなに必要ないとなったとき、やっとお金から解放されるのか。
介護の仕事をしている私は、認知症になったお年寄りが貯金通帳を見て「お金がなくなっていくー」と被害妄想に陥る例をたくさんみてきた。
認知症になる前はお金への執着を言葉にしなかった方が、認知症になって心で思っていたことが言葉として出てくる。
お金に執着している人って多いんだなと思う。
やっとお金の事を考えなくなる頃には死ぬ直前なんて、悲しいな。
安楽死と尊厳死と自殺
安楽死とは
安楽死には「積極的安楽死」と「消極的安楽死(尊厳死)」の2種類ある。
一般的に「安楽死」とは「積極的安楽死」のことを指し、「消極的安楽死」のことを「尊厳死」という。
安楽死(積極的安楽死)とは・・・
回復の見込みがない病気などの場合、本人の意思に基づいて、その苦痛を和らげるために、薬物などで人為的に死を迎えさせること。
尊厳死(消極的安楽死)とは・・・
回復の見込みがない病気などの場合、本人の意思に基づいて、その人の尊厳のために人工呼吸器などの生命維持装置を外して延命治療を行わず、寿命が尽きたときに自然な死を迎えさせること。
つまり、安楽死も尊厳死も、どちらも回復の見込みがない病気などの場合に適用される死に方ということ。
上で書いた橋田壽賀子さんのいう安楽死は積極的安楽死と考えがちだが、正確には病気ではない人が望む死を安楽死とは言わない。
つまり、例えば周りの人に迷惑をかけたくないからとか、生活が困窮しているからとか、そんな理由で楽に苦痛を伴わずに死にたいという場合に、安楽死という選択はできない。というか安楽死とは言わない。「自殺」というのだ。
日本と海外での安楽死
日本では安楽死(積極的安楽死)は法的に認められていない。
消極的安楽死(尊厳死)は日常、病院の中で行われている。
尊厳死と呼ばれる延命治療のための点滴や人工呼吸器を外すことは、本人のリビングウィル(生前の意思)が確認できれば病院でもありうることらしい。
ただし法整備がまだまだ未熟なため、安易に実施すれば医師による殺人になってしまうため現場の医師にとっては悩ましいのが現状のようだ。
海外では、オランダやベルギー、ルクセンブルクなどで安楽死が合法化されている。
アメリカでも州によっては合法になっているところもある。
しかし、外国人がその国へ行って安楽死ができるのは「スイス」以外にはない(2019年現在)。
安楽死が認められていると考えられているスイスは、実は安楽死(積極的安楽死)は違法である。
スイスに行って安楽死をしようとすると、医師が薬物を注射するわけではなく、自分で薬物を注射したり服薬したりして「自殺」をするのだ。
あくまでも医師は「自殺幇助」という立場。
つまりスイスでは「積極的安楽死」は違法であり、医師による「自殺幇助」が合法化されているため、事実上、安楽死が認められているということなのだ。
安楽死が認められる条件
スイスでこのような医師による自殺幇助による死を選ぶ場合、「病気などによる苦痛」が条件となっているため、事実上「安楽死」の定義に当てはまるといえる。
例えば世界で最初に安楽死が合法化されたオランダでも、その条件は末期ガンなどで「耐え難い苦痛にさらされていること」となっている。
つまり安楽死の条件は「身体的苦痛」であって、「精神的苦痛」では認められていないのだ。
安楽死の費用
スイスに行って安楽死をしたいなら150~200万円程かかるという。
会費や旅費、火葬や遺体搬送費などだ。
死ぬのは結構お金がかかるんだな。
まとめ
・海外では安楽死(積極的安楽死)が法的に認められている国があるが、唯一外国人が安楽死できる国として知られるスイスでは、正確には安楽死は違法で、医師による自殺幇助が合法化されているだけであり、死ぬときは自分で薬物を体に入れる必要がある
・病気などによる「身体的苦痛」以外の理由で「死にたい」と考えたときに、楽に死ねる方法として考える「安楽死」は、安楽死ではなく「自殺」である
自然死を迎えるために
安楽死も尊厳死も自殺も、だれも望んでするものではないはずだ。
それらを望む大きな理由は2つ。
健康問題と経済問題。
その原因がなくなれば、だれも自然死以外の死を望まない。
でも健康は簡単には手に入らないし、スイスなどでは安楽死にお金はかかるし・・・
なかなか自然死を迎えることは難しい。
自然死は健康の延長線上にあるのだと改めて思う。
次は、餓死寸前の経験を経て自然死を少し知ることができたお話。
コメント
最後の担当医が、『尊厳死』を押し付けた理由が解った気がします
「救急車を呼んではいけない」
訪問医療を受ける条件でした
私がしぶしぶ承諾すると、まるで鬼の首でも取ったかというように有頂天になり、これでもか!というくらい雄弁になり、不快な熱弁をふるいたい放題でした
むむ!