夢中になって「猫ちぐら」を作った
最近、シロのために「猫ちぐら」を作った。
シロはうちで飼っている片足のない白血病の猫。
「猫ちぐら」は猫のおうちのようなもの。
楽しくて楽しくて夢中になって作っていた。
作りながらシロが興味深そうに見に来て、ときどき爪とぎしてどこかへ去っていく。
邪魔しないでーと言いながらも、そのやりとりが楽しくて癒された。
コツコツと作って1週間ほどで完成。
山に生えている弦(ツル)で籠をつくってみた
山に入ると木に弦が絡まって木が成長しにくそうな感じに見える。
じつはこの弦もしっかり山の生態系の一員なんだ。
上の写真のような弦をたくさん集めると籠が作れる。
これが結構たのしくて夢中になるんだ。
なかなかのもんでしょ。
いくつになっても夢中になれる趣味を
年を重ねてくると、何時間やってても飽きないこととか、心から楽しいと思えることとか、そういうものを大事にしたいと思う。
というか、この世に生きる意味って、そういうものから見出していくのかなとも思う。
この年になっても、夢中になれるものがある自分は幸せだと思った。
朝から晩までずっとやってても飽きないことを挙げてみると・・・
・モノづくり(家具、竹細工、鍛冶など)
・読書
・登山
・料理
初めて、自分で使う椅子を作った時、あの時の感動は今でも忘れられない。
木を山から切り出し、皮を剥ぎ、天日で乾燥させ、ノコギリで木を切っていく。
丸太をノコギリで1回切るのに1時間も2時間もかかるが、汗をだらだら流しながら、気がつけば朝から晩まで、食事を摂ることも忘れて黙々と木と向き合っていた。
30年間生きてきて、自分にこれほど長時間飽きずに没頭できる事があったとは、思いもしなかった。
学生の頃からいろんな仕事をしてきたが、一つも楽しいと思える仕事はなかった。
そんな自分が心から楽しいと思える事に出会えたことは、驚きであり、喜びであった。
そして、完成した椅子は自己満足の塊だったが、心から愛おしかった。
それから僕は、身の回りのものを自分で作り始めた。
箸、コップ、皿、カゴ、爪楊枝、まな板、養蜂の巣箱・・・。
楽しくて楽しくて仕方なかった。
モノを作っている時間は、子どもの頃に夕方遅くまで時間を忘れて遊んでいる、あの時の感覚に似ていた。
ゆくゆくは自宅も自分で建てたい、そんな目標もできた。
30年間、背伸びをして生きてきた僕は、自分は何がやりたいのかわからなかった。
大学には背伸びをして合格し、背伸びをして就職し、
今も、人間関係に悩みながら必死で仕事を続けている。
もちろん仕事なんて99%しんどいものだと思う。
それでも残り1%にやりがいや生きがいを見出せるから続けていけるのだと思う。
お金を稼ぐためだけに仕事をやっているとしたら、それは悲しい事のような気がする。
そう考えた時から、人生のセミリタイアについて本気で考え始めた。
お金を稼ぐことから開放されれば、等身大の自分で、本当にやりたいことだけをやって生きていける。
そして後ろめたい生き方をせずに生きていける。
改めて自分のやりたいことを考えてみて思うのは、これら全てを習得するのに1度の人生では到底足りないということ。
そう考えると、人生は短いと思う。
100年生きたとしても短い。
200年生きられれば、やりたいこと全てやって、
「わが生涯に一片の悔いなし」とラオウのように叫んで死ねるかもしれない。
だから、自分に残された時間が高々50年程度であることを考えると、時間を無駄にしたくないと思う。
夢中になれることがあることはとても幸せなことだと改めて思った。
次は、百姓という仕事について。
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