経済の本質
「経済」の実態については本質的な意味や重要性を感じないのでとても空虚に思える。
数百年前、お金がなかった時代、物々交換の時代なら経済を活性化させる価値は十分あったはず。
現代は、お金という紙切れに価値を見出している人間が、経済という実態のないものを必死に支えている、そんなイメージだ。
自然破壊という大きな犠牲を払って。
経済が発展すると自然がどんどん失われていく
経済問題を考え始めると、いつも破壊されていく地球環境を憂慮してしまう。
中学生の頃、理科の授業で先生が言ったこと、
「このまま地球環境問題が深刻化すれば、地球は終わりです。」
全く誇張のないはずのこの表現に、事態の深刻さを子供ながらに感じたのだが、あれから20年経った今でも、世界の国々は自国の利益の追求に走り、経済発展を第一としているように見える。
中学生の自分は、「地球温暖化を防止するために大人になっても車に乗らないようにしよう」と思った。
でも今、大人になった自分は「仕事のために必要だから」と、言い訳にもならない言い訳をして車に乗っている。
20年以上前から、「待ったなしの状況」と言われてきた環境問題が、20年経った今も根本的な対策が打たれようとしていない。
人間は愚かだ。
自分も含めて。
人間にとっての不幸は、経済活動と地球環境保全が、なかなか両立しにくいこと。
経済活動をすればするほど、環境問題は深刻化していく。
でも、どう考えても、優先すべきは地球環境の方だろう。
森をこれ以上破壊しないで
農業をやっている関係で、地元の山に入ることが多い。
今、山は広葉樹のナラ枯れで死にかけている。
もともと、戦後の植林事業で日本の国土の7割という森林のうち、半分が杉や檜のみの死の森に変わってしまった。
残り半分も、今、原因不明のナラ枯れにより、死にかけている。
日常的に山に入ると、その深刻さがわかる。
森は、人間の生命線だ。
綺麗な空気と水を作り出してくれる。
このままでは、数十年後に人間の飲み水がなくなってしまう。
事態の深刻さが、なかなか認識されていないことに苛立つ。
過去、森を伐採しつくした文明は例外なく滅びているという。
森の広葉樹が枯れ始めた今、現代文明は滅び始めたと言っていい。
人間は人間のことしか考えていない
人間が滅びるだけならまだいい。
森に凄む、クマ、サル、シカ、イノシシ・・・。
何の罪もない動物たちを絶滅に追いやっている。
この地球上に住む、何億種という生命体を絶命に追いやろうとしている。
人間のわがままな生き方のせいで・・・。
チェルノブイリ原発事故で立ち入り禁止になった区域は今、野生動物の楽園になっていると聞く。
動物たちにとっては、人間なんていないほうが幸せなんだろう。
本当にごめん。
今日のこんなに清清しい秋の空を眺めながら、この美しい気候や自然をいつまで享受できるのだろうと考える。
この美しい自然をこのまま失ってしまうわけにはいかない。
人間は、地球上の森を破壊し尽くし、最後の1本の木を切り尽くして初めて気づく。
お金は食べられないということに。
さいごに
私がコツコツ取り組んでいる森を守る活動を紹介します。
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