先日、母と熊野古道を歩きました。
写真で見る熊野古道のイメージだけで、歩いてみたいと言っていた母。
実際はそんなに甘くないと、熊野古道の全てを知り尽くしている私。
母と過ごした貴重な時間を綴ります。
世界遺産「熊野古道」
「道」が世界遺産になっているのは世界に2つしかありません。
その1つがこの「熊野古道」。
もう1つはフランスとスペインにある「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」。
熊野古道といってもいくつかあって、それぞれ小辺路(こへち)、中辺路(なかへち)、大辺路(おおへち)など変わった名称で呼ばれています。
私は中辺路(なかへち)70kmを走って往復したり、果無峠(はてなしとうげ)越えの小辺路(こへち)30kmを往復したり、最難関の修験道である大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)も走破したり、趣味で走って知り尽くしていました。
そんな私が事前に計画を立てて、母にも無理なく歩けて熊野古道らしさを満喫できるコースをいろいろと考えました。
そして選んだのは、熊野古道小辺路の果無峠越え。
このコースならある程度達成感もあり、景色も良く、果無集落を通れる楽しいコース。
最初は、中辺路の平坦なコースを歩こうか迷いましたが、母は健脚だという認識があったので、峠を越える厳しい小辺路を選びました。
「小辺路」登山開始
盆休みの暑い日、私と母は仕事休みだったので、ついに念願だった熊野古道に出かけました。
母70歳、私40歳。
普段から運動らしい運動をしない母は、「小さい頃はよく山で遊んだのに、ほんとに歩けなくなった、、、」とポツリ。
滝のような汗をかきながら、時折見せる清々しい笑顔。
ここ何年も母の顔をよく見たことも無かったけど、おばあさんの顔になったなと思いました。
果無集落の中を通るとき、集落の人に挨拶をしながら楽しそうにしていましたが、その後の果無峠まで登る体力は母にはありませんでした。
結局諦めて途中で引き返します。
引き返す道程も長く感じ、登山口にたどり着けるのか心配になるほどでした。
私は自分が子供の頃の運動神経バツグンの母のイメージのままだったので、想像以上に衰えている母に驚き、30年という年月を感じました。
なんとか登山口まで戻ってきて、最後に車で熊野本宮大社に参拝しました。
本当は歩いてたどり着きたかった熊野本宮大社。
汗をダラダラかきながら参拝を済ませ、帰路につきました。
ずっと行きたいといっていた熊野古道に母を連れていけたと、私は満足でした。
峠は越えられなかったけれど、母も疲れた表情の中に達成感が見えました。
奇跡の一日に感謝
この日撮ったスナップ写真は、いつか母の遺影になるかもしれない、そう思いながら写真を眺めています。
この世に生きるものすべて、いつかは順番に死んでいきます。
そんな当たり前のことを我々は忘れて生きています。
でも、母が生きている今は当たり前ではないことを、この日の登山は教えてくれました。
母とともに過ごすかけがえのない時間を与えてくれてた奇跡の一日でした。
次はじいちゃんを山登りに連れて行った話。
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