以前、自宅近くの山に登ったことを書いたけど、その山はとても思い出深く、今は亡きじいちゃん(祖父)と一緒に、生前登った山なんだ。
今でも山に登ると、じいちゃんと登ったことを思い出す。
歩きたかったじいちゃん
じいちゃんは足が不自由で、長時間歩くときは車椅子を使用していた。
それでも山に登った当時はまだ少し歩くことができたので、一緒に歩いて登るつもりだった。
でも、途中でやっぱり辛くなり自分がオブって登ったのを覚えている。
じいちゃんは戦争で足を負傷して、足が悪かった。
それでも、とてもバイタリティに溢れていたので、足が不自由でも近所を歩き回ったりゲートボールに参加したり、周囲からも愛されるじいちゃんだった。
不安定な歩き方で歩き回るじいちゃんを家族は危なっかしく思って、あまり歩かないよう言い聞かせていた。
歩きたくて運動したくてしかたないじいちゃんの行動を制限するのがとてもかわいそうでしかたなかった。
それでも歩きたがるじいちゃんを、面倒見切れないと思った家族は施設に入れようとした。
私は反対した。
在宅で生涯を全うして欲しかったし、なによりじいちゃんが施設に入ると今よりもっと行動が制限されてかわいそうと思ったから。
私は、自宅で自分が面倒みるから、いさせて欲しいと懇願した。自宅で歩き回って怪我をしても、全部自分が責任取るからと言った。
一緒に山登りを決行
そんな中、半ば強引にじいちゃんを山登りに連れて行った。
車に誘拐するように乗せて連れて行った。
久々に自然の中を歩き始めたじいちゃんはとても生き生きとしていた。
周囲の景色も見られないほど腰が曲がっていたけれど、喜んで歩いてくれた。
途中で体力が厳しくなり、自分がオブって1時間以上かけて山頂に着いた。
山頂の展望台は、腰の曲がっているじいちゃんには、手すりが邪魔で360℃のパノラマを楽しむことは難しかった。
でも、笑顔を見せてくれて、澄んだ空気を胸いっぱい吸っていた。
標高473mの山頂から見える自分の育った町と茶畑を見て、子どものようにはしゃいでいた。
じいちゃんをつれてきて良かった。
周囲から見ると虐待に見られていたかもしれないけど。
訃報、大往生
それから1年を待たず、じいちゃんは亡くなった。
自宅で息を引き取って90歳の生を全うした。
今でも山に登ると思い出す。
山頂で見せてくれたじいちゃんの笑顔を。
やってあげられなかったと後悔したくなかったので、あの時、決断してよかった。
じいちゃんと山に登ったあの日も、こんなに爽やかな秋晴れの日だった。
次は一人で山に登った話。
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